ある日「ELLE」の雑誌をパラパラとめくっていたら、ふと小さな写真に目が止まりました。
なんだかどこかで見たような家の写真が載っていたのです。 それはアメリカの若い女性カントリー・ミュージックのシンガーソングライターがロードアイランド州に別荘を購入したという記事でした。 あれ?もしかしたらと思い、早速去年の旅行で行ったロードアイランド州ウォッチヒルで撮った自分の写真を探してみました。 見比べてみたら、やっぱり同じ家!!! この辺り一帯は、広い敷地を持つ立派なサマーハウスがたくさんあって、中でもひと際豪奢に見えたのがこの白いお屋敷でした。 一体どんな人が持ち主なんだろうかと想像しながら写真をたくさん撮ったのを思い出します。 これを手に入れたのはTaylor Swiftさん、23才ですって!! 敷地の広さは2100平方メートル、約6414坪ですって!! お値段は1700万ドル、約17億円ですって!! 即金ですって!! 私は音楽には疎いので、彼女の名前を聞いても誰?って感じだったんですが・・・ な〜〜〜んとこの歌をうたってる方だったんですねー!!!(^jjj^) 「We are never ever getting back together」 金曜夜にフジTVで放映している「テラスハウス」のオープニングテーマ曲でした!! 毎週楽しみに観てるんですが、いつも素敵な曲だなぁと思って聞いてたこの曲が、なんと彼女の曲だったんですねーー!(驚) 彼女の元彼は、ロバート・ケネディの孫のコナー・ケネディさん! 祖母のエセル・ケネディさんがテイラー・スィフトの大ファンで、エセルさん自身のドキュメンタリー作品「Ethel」のプレミア上映会に招待され、それからのお付き合いだったそうです。。 ちょっぴりゴシップ通になりましたわん! ウォッチヒルの海を眺めたら、これからも素敵な曲がたくさん生まれそうですネ♪ ***** 以前このブログでも紹介した、「婦人画報」に連載されていた「安井かずみがいた時代」が一冊の本に纏められて出版されました。 本の帯に書いてあった、 ー「もうあんな人は出てこない」と多くの人が口にしたが、それは「もうあんな時代は二度と来ない」という言葉と同義である。ー わかる気がします。 日本が高度経済成長してゆく上り坂の途中で見る光景は、先にもっとキラキラ輝くものが必ず待っていると信じられる幸せな時代だったのかもしれませんね。。 改めて読み直しても、彼女を知るゲスト達が語るエピソードはそれぞれに興味深く面白かったです。 大宅映子さんの話に、 「前文略〜 作家の森瑶子とZUZUと私で雑誌やシンポジウムで話をすることが多かったんです。ある雑誌で鼎談して、シャネルが好きという話になった時、『一着や二着シャネルを買って、シャネル好きなんて言わないでちょうだい。ラックの端から端までバーッとシャネル買ってから、シャネル好きだって言うのよ』と言われて、私と森瑶子はシュン・・・。 〜後文略」 森さんでさえシュンとしたなんて・・・。 ちょっと残念だったのは、「婦人画報」で載っていた写真の多くがカットされてしまっていたことかな。。 特に最初の結婚相手新田ジョージさんと、ローマのヴィラ・メディチで挙式した際の記念写真は圧巻だったのですが・・・個人的に。 ***** これも興味深く読んだ本の一冊でした。 アマンと創業者エイドリアン・ゼッカ氏の軌跡を詳細に辿ったノンフィクション。 文芸春秋刊で、文春の書籍情報には、2014年アマン東京の開業が迫る仲、まさにタイムリーな作品だと紹介されていました。 ゼッカ氏は、インドネシアで貿易業に携わる裕福な実家に生まれ、米コロンビア大学に留学した後ジャーナリストの道を選びます。 1956年彼が23才の時には、NYから日本に派遣され、2年間を東京で暮らしたそうです。 その2年の間にゼッカ氏が愛してやまなかった別荘があって、三浦半島の油壺に建てられた別荘でした。 それは、日本人の妻をもつホレイス・ブリストルという『ライフ』の写真家が建てた14棟の別荘で、多くの外国人に貸していたものの一つだったそうです。 著者はこのホレイス・ブリストル氏の足跡を追い、「Horace Bristol's Misaki House」と名付けられた数枚の写真に辿り着きます。 その内の一枚、「ミサキハウスのダイニングテーブル」と題された写真が実際に掲載されているのですが、 著者曰く、 ーたとえばいま、「三浦半島に開業することになったアマンリゾートのヴィラ」だと言われても違和感がない。 エイドリアン・ゼッカ氏のアマンリゾーツには日本の影響があると、なかば都市伝説的に語られてきた。 それは彼の旅館体験であると想像する人が多かった。 〜中略〜 しかしゼッカ氏を良く知る日本人の口から、三浦半島の油壺、ここがアマンリゾーツの原点なのだと聞かされ、最初は半信半疑だったが、これらの写真を見て、はっきりと確信した。 ミサキハウスはエイドリアンにとって、リゾートなるものの原点だった。ー と結んでありました。 エイドリアン・ゼッカ氏以外にも、天才的なホテリエ、ロバート・バーンズ氏の話も興味深かったです。 伝説のホテル、香港の「ザ・リージェント」の創業を手掛け、それ以前にはハワイの老舗ホテル、「ザ・カハラ」と「ハレクラニ」もバーンズ氏の手にかかり、バーンズのカハラヒルトンと称される程、総支配人としての手腕を発揮した人物です。 エイドリアン・ゼッカ氏がホテル業界に関わるきっかけとなった人物でもありました。 リージェントの会長を退いてから、長らくホテル業界から姿を消していたバーンズ氏が彗星のごとくよみがえってホテルを開業したのは2001年、70才を過ぎての事。 それは北イタリアのガルダ湖畔に建つムッソリーニの美しい館を改装したホテル、「ヴィラ・フィルトリネッリ」でした。 「ヴィラ・フィルトリネッリ」・・・以前からその美しさに一度は泊まってみたいと思っていたホテルでした。 この本を読むまでは、そんないきさつがあったとは知る由もなく、興味深い話でした。 その後、ホテルはロシア人に高価格で売却され、バーンズ氏所有ではなくなったそうですが、当時と同じスタッフで同じように運営され、今もバーンズ氏お気に入りのホテルに変わりなく、ゲストとして度々訪れていらっしゃるそうです。 最後に、建築家の隈 研吾さんが、この本の書評を朝日新聞に寄せられていて、その内容が面白く、一部抜擢させていただきます。 −現代のホテル王のノンフィクションにもかかわらず、華やかな成功譚というより、壮大な悲劇的神話に似ていた。タイトルは、さしずめ「悲しき熱帯」。 登場人物のほとんどは、西欧とアジアの間を漂う。無国籍、多国籍な「ヒッピー」である。彼らこそ、20世紀の西欧中心的な工業社会の限界に気づき、アジアの「気持ちよさ」に最も早く気づいた、 繊細で感性豊かな人々であった。その「気持ちよさ」をビジネスにつなげることに最も長けていたのが主人公、アマンホテルのエイドリアン・ゼッカである。 なぜ、アジアン・リゾートがビジネスになったか。格差が存在するからである。人件費の安さ、土地の安さ、建設費の安さ。それゆえにアジアン・リゾートは現在の経済と文化をリードする。 〜中略〜 アジアの最高の理解者である彼らが、格差を利用して富を築き、結果としてアジアを西欧化し、格差を平準化した。しかも、彼らは、自分が何をしているのか一番わかっている。だからこの物語は二重の意味で悲しい。 なかでも一番悲しく見えたのは、登場する日本人達であった。 〜中略〜 ゼッカ達は、日本から大きなヒントをもらい、日本文化を最大限利用した。しかし当の日本人はゼッカ達のずっと後でビジネスに参入し、ばばをつかまされ続けた。登場する日本企業で破綻したものも少なくない。日本人は、日本に対して、自分の文化に対して自信がなく、乗り遅れた。リゾートに限らず、すべての領域での現代日本人の悲しさを感じて、つらくなった。ー 全てを肯定はできないまでも、たしかに納得できる内容でした。 同じ本を読んでもね〜(^^;)、こうも深い洞察力をお持ちなのは流石でございます! つれづれなるままに。。
by jackie-style
| 2013-08-20 20:41
| 日々の暮らし
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